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温井和佳奈

起業前2話:20歳時、月給手取り14万円、一年で150万円貯める決意をする

なんとか私は、一番給料が良いとウワサされていた証券会社にめでたく入社した。当時の給料で社会保険や税金など諸々引くと、短大卒は手取りで14万円だった。あれ、思ったより少ない。きっとボーナスが良いのだろう。。

研修を受けて、西銀座の投資相談課に配属された。店頭に入って「うわぁー」と口から出た。なんてカッコイイんだろう。株式の実況放送が流れている「野村證券10万株〇〇株買いにきました」「日興証券5万株買いにきました」などと聞こえ、お客さんは店頭にいいっぱい。

電話が絶え間なくなり、美しい証券レディの先輩たちが、長い髪をかき上げながら電話を取り注文を受けている。電光掲示板に出ている銘柄の何割かはストップ高となり、店内でそれを見ていたお客さんから拍手がわく。私もワクワクしてきて一緒に拍手した。

しかし、すぐに店頭から降りろと言われ、3ヶ月は朝から晩まで、国家資格である証券外務員資格の勉強をせねばならない。この資格があると店から離れた場所で、お客様との契約が可能となるそうだ。新人は資格が取れたら、外でドブ板営業(飛び込み)をさせられる。

無事に資格も取れても自分の顧客がいないので、飛び込み営業が新人の主な仕事となる。突然飛び込んでも、帰れと言われるか、さっきも日興証券の人が来たばかりだよ、と迷惑そうに言われる。

先輩は「帰れ!」と怒鳴られて、雑巾を顔に投げつけられたと言っていた。雑巾を投げつけられるくらいニュースにもならない時代だった。証券会社だけでなく、リクルート、あらゆる商品の売込みの飛び込み営業全盛時期だったと思う。

飛び込み営業が嫌で、同僚と慰め合うためにウェンディーズでお茶をしていたら、先輩に見つかってしまった。ガラス張りの店で、明るい水色の制服を着ている同期女子6人全員でサボっているんだから、目立つことこの上ない。そんなバカ揃いだったので先輩からは理解不能な人種として私たちは「新人類」と言われていた。

そんな中で、私はシンプルで無謀な計画を立てる。毎月10万円貯金、2万円家賃として親に払う、そして残りの2万円だけで1ヶ月間生活をすると決めた。

家族からは「カネの亡者」と言われながら、家でご飯を食べる。ボーナスが出たら手元に10万円残して全額貯金。外食は誰かのおごり以外は行かない。

バブル時代は、みんな気前が良かった。

「よし!今日は儲かったからみんなで焼肉食べに行くぞ」と先輩のお客様が言う。そして10人くらいの証券レディでゾロゾロついて行く。そしてお会計30万円、とか普通だった。そして帰宅する際には、「タクシー代」と言って1万円くれる。 そして、もちろん電車で帰る。

つまり月に5回食事に参加すると+5万円。これは大きい。おかげで私は友人と銀座でランチもできたし、ちょっとした飲み会にも参加できた。

食事会のないときは、家にさっさと帰宅して留学の本を読む。当時はインターネットがなかったので、日米留学センターという場所に足を運んで、その資料室で調べる。

同期会は大卒男子2名、短大卒女子6名、幹事の女性がなんと料亭を予約した。同期会だから当然会費制かと思ったら、22歳の男子二人が、私たち6名にご馳走してくれた上に、タクシー代までくれた時には驚いた。

更に、留学するから自分でお金をためているというと、商売をやっているお客さんが多かったから、これ余ったからあげるよ、とカバンだったり、スーツだったり、数万円の物なら気軽にくれる人も多かった。

私の貯金は、毎月確実に増えていった。

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● わかな語録:「目的を持ったら、お金は貯まる」

◆ 続きは 起業前3話:電話で殴られた「お局様」と「新人類」女子

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起業前1話:バブル時代、ある目的のために給料で「銀座証券レディ」の道を選ぶ

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