私はとにかく仕事大好き人間だった。家族よりも、恋愛よりも、仕事を優先してしまう。 そんな仕事中心の私が28歳で起業してある日突然、恋に落ちた。 私は悪友にそのことを打ち明けた。 「へー、その人はどんな人?」「オタク」「へ …
月: 2022年3月
女性起業家コンテストがご縁で出会った本の著者でおあるビジネスマンの方がある有名俳優とお友達になり、よく食事に行くという。 「えっ!?本当ですか。私も行きたい(笑)」「いいよ。今度温井も誘うよ」「いいんですか?ぜひお願いし …
私が起業した1990年代はSNSがなかったしネット普及率が10%だったから「ホームページ」を知らない時代だった。 ある日、ホームページ制作の受注の営業を兼ねて経営者が集まっているという、ある場所に行くとそこには昭和の隠れ …
ADSL回線が入ってきた時代、日本の中小企業は年間売上3,000万円〜4,000万円が最も多く、1億円以下の会社は6割くらいだった。私の会社の売上はおよそ3,500万円になり、最も多いところに入った。 イベント事業部は楽 …
当時、巷では「失楽園」が流行って、バレンタインやクリスマスはフレンチかイタリアンディナーが定番で、インターネット普及率も10%、Windows98が出てきたくらいの時。 イベント事業をやっているからという理由で、母校ボス …
私は独立のチャンスをくれた証券会社時代のお客さん(A社長)と新規事業のブレストをやるためにカフェで待ち合わせをした。 早く着いた私は、時間つぶしに本屋に入り、平積みになっていた「じゃらん」という旅行情報雑誌を手に取った。 …
「温井さんは自分でやるべきだよと。自分が代表になって事業をやったら?」 なんだかとてもワクワクした。当時は1,000万円の資本金がないと株式会社を設立できない時代だったので、私はそのお客さんの会社の新規事業部の「代表」と …
国連や世界銀行で途上国の仕事がしたくて「ボストン就職フォーラム」に参加した私はそこで本当に驚いた。私のように4年生になってから活動している人はいない。早い人は1年生の時から、面談など頻繁にしていて様々なやりとりをしている …
テキサスの富豪、ロス・ペロー氏の大きな声が澄みきった青空にこだましていた。 普段は耳を通りすぎていた何気ない言葉も、この日に限っては胸の奥にまで響く。 威風堂々の音楽と共に、こみ上げてくる感動は、この幸福感は、突発的な幸 …
この秘策が、自分が経営者になった時にとても役に立った。このおかげで1年半でボストン大学の卒業証書を手にすることができた。 授業に全くついていけなかった私は、自分一人の勉強で卒業するのは無理だと最初に悟った。私はかなり頑張 …
これをやったから私は1年半でボストン大学を卒業できた。かけた時間は三日くらいだろうか。私の頭だと卒業に4年くらいかかっただろう。それを1年半に短縮できたのは、人生時間とお金を大きく節約できた。 通常、日本人の留学生で短大 …
ボストンの街並みは落ち着いた歴史を感じさせる。ハーバード大学やMITなど世界トップクラスの大学がある。歴史的にはアメリカの独立宣言がされたバルコニー、「ボストン茶会事件」などの舞台となった。茶会事件のヘッドとなったサミュ …
●ストーリーの力をビジネスに使う 世界やアメリカのリーダーたちは今、「ストーリー思考」や「ストーリーの力」を使い会社を成長させ、商品の売上をあげています。 しかし、日本でそのパワフルな力を、ビジネスに使っている人は極わず …
とうとうボストンへ引越す日になった。みんなとお別れの日。ギリシャ人のディーンはニューヨーク大学で脳神経を勉強するという。相変わらず英語がヘタクソな私が一人でボストンに行くことを心配して、ディーンともう一人の友人がトラック …
最終的に学長から推薦状までもらい、できることは全てやった。微分積分の勉強会で仲良くなったギリシャ人の秀才、ディーンは、私が学長室に通いエッセイのアドバイスをもらったと言うと、目をまん丸にしてビックリしている。 「Waka …
私は学長の部屋を勇気を出してノックした。 実は、UCLA、ボストン大学、ニューヨーク大学、と受けた大学すべてに私は落ちていた。渡米して一年半が過ぎようとしていたころだ。理由はごく単純である。日本の高校と短大時代の成績があ …
高校時代のビリギャル赤点成績がこんなに後になって影響してくるとは思わなかった。しかしトータルでこのコミュニティカレッジで2年通い、微分積分など単位数の多い教科を取りまくりオールAをとれば、ニューヨーク大学、ボストン大学、 …
クラスで満点を取って以来、友達がたくさんできた。友達も増え言葉も少しは通じるようにり、私の留学生活は苦悩から楽しみに変わっていった。 そんなある日、「今度、カナダにいく用事ができたからおまえの所にいくよ。」と国際電話がか …
小学生の問題もわからない一言も口を開かない、かつ超バカと思われていた私が、クラスで一番の満点を取った。その時のクラスのどよめきは、すごかった。 そしてクラスが終わると、驚いたことに人垣が私の机の周りにできていた。私はクラ …
交換留学をしてきた高校時代のクラスメイトは、1年の留学で発音はネイティブなみ、英語ペラペラだった。彼女曰く、ものすごい勉強したら、ある日突然、テレビから流れてくる英語の意味が全て理解できて、口から流れ出すように英語が出て …
久しぶりに母親の味にひたり、言葉の通じるありがたみを実感しながらも、私の中では焦燥感が拡がっていた。日本でも私一人が、世間の人と違う時間の帯中に生きているようだ。 ふとテレビに目をやると東南アジアの女性達がヤクザに売春さ …
希望がみえたのもつかの間、私は日本行きの飛行機の中にいた。ナポレオンプロジェクトは、たったの数週間での挫折。3時間しか寝ないという無理な習慣を植えようとしても無理だった。無性に帰国したかった。 華々しくお別れ会をしてもら …
あぁ勘違い!と言って最初のうちは笑ってられた。しかし、それがあまりにも続いたらどうだろうか?さすがに落ち込むわけで。。極めつけは、先生が授業中に私の単語帳を取り上げて、ペラペラとページをめくり、「register, gr …
今晩は、「東南アジアで起業する」ケースから学ぶキャリア開発の著者である横山和子先生と、この本の中に登場する起業家20名のうち8名の方々とでZoom MTGをした。 参加者はベトナム、タイ、カンボジア、香港、インドネシア …
カンボジア人のお給料っていくら?とよく聞かれる。まるっと末端の社員で2〜3万円くらいとお伝えするが、首都なのか田舎なのか、平社員かマネジャークラスかで全く変わる。 当時、カンボジアで3店舗のお店を運営していて、その3店舗 …
ワシントンDCには、日本から寄贈したという3000本の桜の木があり、春は美しく桜が咲く。しかし、私は桜を楽しむ余裕もあまりなく、語学スクールに通いながら、焦っていた。スペイン人やヨーロッパ人の友人たちは、日毎に見違えるよ …
目覚めると茶色く変色した天井がぼんやりとみえる。朝日の入らない地下室で、やはりこれが現実であった。古ぼけたベットカバーの下で、楽しかった日本での何不自由のない華やかな生活が、懐かしく未練がましく思い出される。自分がした初 …
ホームステイ先は、貧しい母子家庭である黒人の住む小さな家だった。日本で描いていた「白亜の家にグランドピアノのある部屋」という空想は大きくはずれた。余裕があるから留学生を受け入れるのではなく、留学生から支払われる数万を生活 …
成田空港には、母、兄、会社を休んで「新人類」の友人がきてくれた。そして結婚を約束していた彼も。空港でみんなと涙の別れをして、私は一人、搭乗口へ向かった。手にはTOFELの英単語の本を持って。 行き先は、東海岸、ホワイトハ …