最終的に学長から推薦状までもらい、できることは全てやった。微分積分の勉強会で仲良くなったギリシャ人の秀才、ディーンは、私が学長室に通いエッセイのアドバイスをもらったと言うと、目をまん丸にしてビックリしている。
「Wakana, 学長と会えるわけないじゃないか。君はきっと英語を間違えているんだよ。学長は英語でディーンオブカレッジって言うんだ。僕の名前もディーンだけど、君と会ったのはディーンという名前の一般事務の人だと思うよ。掛けてもいい、絶対に学長じゃないよ」
そして、私はまた学長室に行き、学長に聞いた。
「あの、あなたは名前がディーンなのですか?」
学長は大笑いして、学長はディーンという名前の男性ではなく、正真正銘の「ディーンオブカレッジ」だと言った。普段は滅多に学生と会わないという。というより、学生が訪ねてくることはほとんどないそうだ。
学長は、私の向こう見ずな熱意に胸を打たれたと。理論整然とした説得や、巧みな交渉よりも、時に「純粋な熱意」は人を動かすものだと
私は、いつくるか分からない結果を待った。日がたつにつれ諦めも頂点に達したある日、ポストの中にボストン大学からのメールが入っていた。
ずっしりとした重量感のある封筒は「合格」を意味していた。大騒ぎで学校に行った。学長のオフィスに走り込み、分厚いボストン大学からの封筒を見せた。
思わず抱き合って喜んだ。しかしよく見るとそれは「条件付き入学許可」であった。どうやらTOFELの点が3点足りなく、最初は英語クラスを一学期取る必要があり、その間、学部の履修はできないとのこと。
アメリカの大学は二期制だから、一期分は5ヶ月近い長さである。その間、英語クラスだけなんて、家賃や生活にかかるお金がもったいなさ過ぎる。
私は、速攻でボストン大学に飛行機で飛んだ。しどろもどろの英語で大学事務局に行き、アメリカでのオールAの成績表を見せて、母国語ではビリだったが心を入れ替えて、英語でオールAを取った成果を認めてくれと訴えた。
英語クラスはとるから、学部の教科も2教科で良いから履修させてくれとお願いした。最初は全く聞き入れてもらえない雰囲気だったが、お金が足りないんですと伝えたら「OK」と言われた。
最終的には、特別に2教科学部で履修させてもらえることになった。ここで2教科を履修できることは後々卒業のタイミングが半年早まることを意味する。大きな時間とお金の節約となるので本当に助かった。
次は、不動産探し。私はアメリカ人の女性をルームメイトにしたいと思っていたので、大学内のルームメイトマッチング部署に行き、マッチングをお願いした。ボストン大学内にある不動産屋さんなので、安心できた。
翌日、オフィスに行くと何人かの候補者の物件を見に行くことになった。その中で、巻き毛で笑顔が可愛いペリーという女性が住んでいる場所は、理想的だった。こんな女性と一緒に住んだら留学生活も楽しそう。
先方も日本人ならぜひとのことで、即決定した。アメリカではこうして初対面の人と一緒に住むことを決めるのは珍しくない。
ワシントンDCに戻り、いよいよ引っ越し準備だ。チャーミングなアメリカ人ルームメイト、快適な住まい、行きたかった大学、全てが理想だった。
そして、私は「ディーンオブカレッジ」に心から感謝した。
●わかな語録:巧みな交渉よりも、「純粋な熱意」は人を動かす