ボストン大学卒業生の会から電話がきた。ニューズウィーク誌が留学のイベントをやるのに女性で海外の大学を卒業した起業家をパネラーで探しているという。 「温井さん、パネラーで出てみたら?」 舞台の上で、パネラーか。カッコいい。 …
留学
一人新婚旅行から帰国した私は、たくさんのおみやげ話をオタクにした。オタクは、つぶらな瞳で一生懸命私の話を聞いている。 「色目で仕事を取るのもやめるからね」「うん」オタクは屈託のない笑顔でうなずいた。色目はオタクが言い出し …
国連や世界銀行で途上国の仕事がしたくて「ボストン就職フォーラム」に参加した私はそこで本当に驚いた。私のように4年生になってから活動している人はいない。早い人は1年生の時から、面談など頻繁にしていて様々なやりとりをしている …
テキサスの富豪、ロス・ペロー氏の大きな声が澄みきった青空にこだましていた。 普段は耳を通りすぎていた何気ない言葉も、この日に限っては胸の奥にまで響く。 威風堂々の音楽と共に、こみ上げてくる感動は、この幸福感は、突発的な幸 …
これをやったから私は1年半でボストン大学を卒業できた。かけた時間は三日くらいだろうか。私の頭だと卒業に4年くらいかかっただろう。それを1年半に短縮できたのは、人生時間とお金を大きく節約できた。 通常、日本人の留学生で短大 …
ボストンの街並みは落ち着いた歴史を感じさせる。ハーバード大学やMITなど世界トップクラスの大学がある。歴史的にはアメリカの独立宣言がされたバルコニー、「ボストン茶会事件」などの舞台となった。茶会事件のヘッドとなったサミュ …
とうとうボストンへ引越す日になった。みんなとお別れの日。ギリシャ人のディーンはニューヨーク大学で脳神経を勉強するという。相変わらず英語がヘタクソな私が一人でボストンに行くことを心配して、ディーンともう一人の友人がトラック …
私は学長の部屋を勇気を出してノックした。 実は、UCLA、ボストン大学、ニューヨーク大学、と受けた大学すべてに私は落ちていた。渡米して一年半が過ぎようとしていたころだ。理由はごく単純である。日本の高校と短大時代の成績があ …
高校時代のビリギャル赤点成績がこんなに後になって影響してくるとは思わなかった。しかしトータルでこのコミュニティカレッジで2年通い、微分積分など単位数の多い教科を取りまくりオールAをとれば、ニューヨーク大学、ボストン大学、 …
クラスで満点を取って以来、友達がたくさんできた。友達も増え言葉も少しは通じるようにり、私の留学生活は苦悩から楽しみに変わっていった。 そんなある日、「今度、カナダにいく用事ができたからおまえの所にいくよ。」と国際電話がか …
小学生の問題もわからない一言も口を開かない、かつ超バカと思われていた私が、クラスで一番の満点を取った。その時のクラスのどよめきは、すごかった。 そしてクラスが終わると、驚いたことに人垣が私の机の周りにできていた。私はクラ …
交換留学をしてきた高校時代のクラスメイトは、1年の留学で発音はネイティブなみ、英語ペラペラだった。彼女曰く、ものすごい勉強したら、ある日突然、テレビから流れてくる英語の意味が全て理解できて、口から流れ出すように英語が出て …
久しぶりに母親の味にひたり、言葉の通じるありがたみを実感しながらも、私の中では焦燥感が拡がっていた。日本でも私一人が、世間の人と違う時間の帯中に生きているようだ。 ふとテレビに目をやると東南アジアの女性達がヤクザに売春さ …
希望がみえたのもつかの間、私は日本行きの飛行機の中にいた。ナポレオンプロジェクトは、たったの数週間での挫折。3時間しか寝ないという無理な習慣を植えようとしても無理だった。無性に帰国したかった。 華々しくお別れ会をしてもら …
ホームステイ先は、貧しい母子家庭である黒人の住む小さな家だった。日本で描いていた「白亜の家にグランドピアノのある部屋」という空想は大きくはずれた。余裕があるから留学生を受け入れるのではなく、留学生から支払われる数万を生活 …
成田空港には、母、兄、会社を休んで「新人類」の友人がきてくれた。そして結婚を約束していた彼も。空港でみんなと涙の別れをして、私は一人、搭乗口へ向かった。手にはTOFELの英単語の本を持って。 行き先は、東海岸、ホワイトハ …