昨晩観たドキュメンタリー映画の影響で、今日も色々と考える。映画の中の個性的な美しいミエンというカンボジア女性は、売春宿から救出されて、今は幸せに暮らしている。私は小さい頃から、途上国の貧困で女性や子供が犠牲になる話を聞くと、心がザワザワしてしまう。
映画の中で、警察やNGOなどが連携して売春を取り締まっていたが、ミエンのように救出される女性たちは母数を考えると、ごくわずかである。店側も警察に捕まらないよう巧妙になっていくので難しい。カンボジアの性奴隷は昨晩の映画によると5万人。私が10数年前に、どこかで調べた数字と変わっていないということは、減っていない。
どうせ減らないものならば、「私が宿の経営者になったらどうするだろう」という目線で考えてみた。「出口のない絶望」から、せめて絶望の中でも「希望」がもてる場所にしたい。
1)ステップアップしていく道筋を作る
例えば、日本の遊郭は小さいうち(6、7歳)は小間使い、年頃(14、15歳)になったら「水揚げ」として金持ちに女性となる儀式をしてもらい(少女が恐怖にならぬよう客は人選されていた)、芸事や教養を学び、出世すれば花魁(おいらん)の位までいけるとか、「身請け」をしてもらえたら自由の身になれるというようなルートがある。これをそのまま取り入れる。
花魁や身請けまでいくためには、教養や会話の鍛錬をしなくてはそうなれないから、カンボジアの宿では、女性たちに本気の教養やコミュニケーション研修をする。彼女たちのコミュ力を鍛えて、男たちにはうんとお金を使ってもらい成果をだす。
2)顧客ターゲットを変更
うんと使ってもらったお金を、今度はうまく回して、極端な性癖(幼女、拷問など)を持つ客を受け入れている現状をやめる。新たなターゲットとして、紳士で金持ちな客を増やす。
3)現役引退しても自立していける環境づくり
カンボジアの宿では、女性たちの年代は、5、6歳の子供から12-15歳、20歳くらいになるとおばさんとなり稼げなくなる。宿では字を書くことも、一般教養も教えてもらえない。一定の年齢がきたら使い捨てとなり、その後の一生はことさら厳しいものとなる。
この使い捨ての状況を遊郭に習い、改革する。遊郭にいた女性たちには身請けしてもらえなくても、年季という27歳で自由の身になれた。しかし故郷に帰れない事情があったり、借金を減らせいてもらえなかった女性は、そこに残り花魁の世話係とか、「遣手」(やりて)といい遊女の管理や監視をする仕事をしたりすることもあったそうなので、それも取り入れる。
日本の遊郭でも、その後にはいくつかの道があったが、最悪とされるのは、最下級の娼婦として街中に永遠に立ち続ける道。40歳を超えてシワを白粉で隠し立ち続ける。その時の彼女たちの値段は、現在の価値にして480円。ちょうど現代で、カンボジア女性が10代の若い時に売春宿でもらえる金額とほぼ同じである。
もちろん、日本の遊郭で梅毒や中絶などで亡くなる女性も多かったようだし、花魁になっても自分の着物や髪飾り、化粧代、さらに付き人である禿や振袖新造の着物代なども自腹だったので、借金は減らせなかったとい話もある。
4)「身請け」制度の導入
ちなみに前述の「身請(みうけ)」には、どれくらいのお金が必要だったのか調べてみた。
下級クラスの遊女:40~50両(現在の金額でおよそ400~500万円)
中流クラスの遊女:少なくとも100両(およそ1000万円)
トップクラスの花魁:1000両(およそ1億円)
身請け代金の内訳は、身代金 + 借金 + 稼ぐ予定だったお金 + 妓楼のへのご祝儀 + 盛大な送別の宴会料 などで膨らんでいく。
日本の遊郭の仕組みは、すべては書ききれなかったけど、調べれば調べるほどよくできていていることに驚く。これで身を滅ぼす男性も少なくなかったらしいので、それくらい魅力ある遊女を育て、かつ威力のある「仕組み」だったんだな。
カンボジアで60歳くらいの女性が、炎天下で物乞いをしていたシーンを思い出す。
世界からこんな場所がなくなることを祈り、女性たちが夢を持ち自立できる世の中でありますように。
(※このブログの収益は途上国の活動に活用します)
ドリーム・ガールズ・プロジェクトは、デザインを通じてカンボジア女性の夢をかなえるプロジェクトとして2009年にスタート。このプロジェクトをきっかけに世界で活躍するアーティストや女性起業家を輩出しています。