交換留学をしてきた高校時代のクラスメイトは、1年の留学で発音はネイティブなみ、英語ペラペラだった。彼女曰く、ものすごい勉強したら、ある日突然、テレビから流れてくる英語の意味が全て理解できて、口から流れ出すように英語が出てきたという。
私も1年経ったら彼女のようになれると一生懸命に勉強した。しかし、信じられないことに「そのある日、突然」は、私の身の上には起こらかった。そして、語学の才能が自分にはないだろうと思われた。
私はある日、突然、決意した。
「英語ペラペラ」は捨てよう。
私は未来の自分をいつも想像していた。あの男尊女卑の父の前で、楽しそうに英語で会話してやる、というクダラナイ想像は捨てた。そんなことではなくて、大学、それもある程度「知名度のある大学を卒業する」という目標に絞ることにした。
それ以外は、どうでもいい。英語もこの際、喋れないままで良い。目指すは4年生大学の卒業証書のみ。
だから良い大学に転校するために良い点を取らねば。英語ができなくてもオールAを絶対に取る。アメリカはチャンスをくれる国だから、私でも頑張ればきっとできる。
アメリカの成績は出席率、テストの点、クラスでの発言の3つで決まる。出席率は簡単である。欠かさず授業に出るだけで良い。テストも点が足りなければ「チャンスをください」で追加レポートや追加課題などをこなせば良い。
問題は「発言」である。私は会話がすこぶる苦手、更にアメリカに行って1年も経つのに、先生が何を喋ってるか、ほとんどわからないままだった。
仕方ないので、先生やクラスメイトが何を言ってるかわからないけど、発言の口火を切る役に回ることにした。「これの背景を教えてください」「これについてみんながどう思うか知りたいです」という英語だけ覚えて、どんな内容にでも合うことをこの決まり文句をクラスで一番に発言してみる。
そうすると喋りたくてたまらない南米系、中東系、インド系の人たちがすごい勢いで喋りだす。そこに アメリカ人の学生たちも加わり入る隙間もなくなる。そこへ中国系、韓国系の学生がなんとか入り込み、日本人学生は発言できる人たちは少ない。しかし私が口火を切っているので最初の一言しか話してなくても、少し目立つ(笑)
こんな風にして、頑張っていたが、数学の微分積分の時間は悲しかった。唯一、私は数学が得意だった。英語で学ぶ微分積分は日本のよりはるかに簡単だった。先生に指されたとき、教授の英語がわからず回答できなかった。できない私を励まそうとして、教授はどんどん簡単な問題を質問してくる。
しかし、それはかなりの「ありがた迷惑」だった。英語がわからないんだから。先生、お願いですから黒板に数式を書いてください、、と何回も心の中で言うが、私の口から英語が出てこない。最後に教授は、小学生でもわかるような数式を私に質問した。英語がわからなかったけど、想像して回答してみた。
クラス中が一瞬、どよめいた。こんなバカな奴がいるのか!?と言うどよめきだった。私の回答は不正解だったらしい。みんな!違うの!本当は英語が理解できていたら、こんな問題、わかるのよ、と言いたかった。少し涙目になってしまったかも。みんなの同情するような視線が屈辱的と思ったが、もういい。・・・英会話は捨てたのだから。
とにかく私は、やらなくて良いタスクは全て捨てた。会話上達を狙いクラスメートとつるんでランチとか、夜のバーも、カンバセーションパートナーなど、会話の練習に当てていた時間を全て捨てた。
いつもクラスが終わると、だれとも話さずに図書館へ直行し、閉館になるまで一人、ひたすら勉強していた。たまに声をかけてくれる人もいたが、何を言ってるかわからないので、軽く微笑んで話もせず黙々と勉強した。
そして、数学の微分積分のテストが戻ってくる日がきた。教授がいやー、びっくりだと言いながらクラスに入ってきた。そしてこう言った。
「クラスで一番の生徒を発表する。それは・・・Miss. Wakana Nukui!! 満点だ」
クラス中がどよめいた。そして皆が一斉に驚きの目で私をみた。私の前の席に座っている秀才のディーンも、勢いよく振り向いて、ギリシャ彫刻のような大きな目をより大きく見開いて私を見ていた。
私は、クラスで大注目をあびてしまった。そして、驚くような現象が起こっていく。
●わかな語録:得意分野の応用で不得意を乗り越え、目的のみに集中する