私は学長の部屋を勇気を出してノックした。
実は、UCLA、ボストン大学、ニューヨーク大学、と受けた大学すべてに私は落ちていた。渡米して一年半が過ぎようとしていたころだ。理由はごく単純である。日本の高校と短大時代の成績があまりにも悪かったから平均スコアが足りなかった、それに尽きる。高校時代の成績はクラスでビリだったが、短大では、保健体育がA、他はCとBが少し。
アメリカの大学には日本のような共通一次試験などというものはない。 申込書に記入し、GPA数値(高校と今までの成績のスコア平均)と推薦状とエッセイを送るのみである。GPA数値が低いと、ここでおとされてしまう。GPAをクリアすると、推薦状とエッセイの審査に移るらしい。
エッセイの内容は大抵「人生のゴールについて書け」などの指示がしてある。このエッセイは自分自身を行きたい大学に売り込む場となるそうだ。私は自分を売り込むチャンスすらなかった。
唯一の救いは、このメリーランド州の短大で私はオールAをとっていた。このままオールAをとり続ければあと半年後には、なんとか売り込めるチャンスができる計算になる。この瞬間、気が遠くなりそうだった。2年の予定で渡米したにもかかわらず、希望の大学を受ているだけで、2年がたってしまう。残された最後のチャンスは、この半年にかかっている。
後戻りはできない、時間がない。だれか、確実な人はいないか。なんの人脈もコネもない私の周りの中で、だれがいるだろうか。そして私は、会ったこともない学長の部屋のドアをノックした。
「中へ入りなさい」
ドキドキして緊張が高まり英語が飛んだ、声まで裏返った。
「す、すみません。わ、私は、ボス、ボストン大学に、、行きたい!?」
しばらくの沈黙の後、学長は笑い出した。「オーケー。君がボストンに行きたいのはわかった。でも君は一体、誰なの?」
一気に緊張が解けて、私は自分の名前を名乗り、自己紹介をしどろもどろとした。そして、いろいろなアドバイスをくれた。帰る前にまたドアのところで振り返って聞いてみた。
「あの、エッセイを書き直すので、またアドバイスいただけませんんか?」
学長は、君くらいしか生徒はこないからいいよと快諾してくれた。
この日から私の学長室通いが始まった。今、私がやらなければならないこと、本には載っていないような、ノウハウを学長直々に少しずつ教えてもらった。学長が指示したことの2倍のことをやるように私は心がけた。
「できた!」自分の中では最高と思えるエッセイもできあがった。学長は横で「Wakana、これ本当にグレートだよ」と褒めてくれた。これをボストンに送る。一字一句間違えのないように申込書を埋めていく。これで、もうボストン大学に入れなくても後悔しないだろう、と納得できるほど、がんばれた。だめだったら日本に帰ろう。その時は、胸を張って帰れる。
●わかな語録:自分が思いついた「最高の人」からアドバイスをもらおう