カンボジアで苦楽を共にした二人と私で、我が家でおうちごはん。この3人で集まると、2020年に現地で外出できず「今後一体どうなっていくのか」と不安な思いで、私の部屋に密かに集まり、帰国するのか否か話し合った晩を思い出す。
当時の晩、カンボジアでは、オフィスも飲食店もみんなクローズしていたので、私の部屋に集まり、議論することにした。
中国からカンボジアに様子見に来たら、帰れなくなった!?
一人は佳世さん、5年共に働いてくれた女性で、本当に苦楽の思い出がいっぱい。そしてもう一人はシジミさん(あだ名ね)。シジミさんは中国で起業した日本人でゼロから7億円の売上を作った経営者。よくカンボジアに遊びに来ていて、うちの急成長が、空中分解しそうなのを見かねて、カンボジアに様子見できてくれたところ、コロナで中国に戻れなくなってしまった。
当時、佳世さんは、健康状態が良くなくてある薬を服用しなくてはならない状況だったのだが、あと1ヶ月分のお薬しかないという。なので、私は彼女に直ちに帰国を指示した。
本人は驚いて、まだ大丈夫と言ってくれたが、彼女が服用している薬は、カンボジアにはない。だから私にとっては、ロックダウンで帰れなくなる前に、彼女には帰国をしてもらう選択しかなかった。
ネコも一緒だと、航空チケットが取れない !?
航空会社もネットからの予約ができなくなっていて、予約の電話が殺到しているらしい。うわさでは、オペレーターにつながるまで3時間かかってやっと繋がってもチケットが取れないとか。
佳世さんは、元ノラ猫を2匹も飼っていて(うち1匹はなんと7kgの巨体)そのせいか、チケットとるのに苦戦したが、なんとか取れたので、急遽、帰国できることになった。
5年もカンボジアで一緒に働いてくれた彼女が、こんな形で急遽、帰国するなんて夢にも思わなかった。。
一方、フラッと中国から様子見に来てくれただけのシジミさんは、
「こうなったらカンボジアにいるわ。どのみち中国の会社はNo.2任せて来たところでキリがいいし、本格的に手伝おうと思ってたから」
なんとも不思議な縁。
瞬く間に佳世さんの帰国前日を迎えた。感染に最大の注意を払いながら、再びカンボジアの私の部屋に集まり、仕事の最終引継などして、3人でご飯を食べた。外は、オカルト映画のように人がいない。
カンボジアの病院は脆弱だから、クラスターが起こったらどうなるのかとか、仮に病院に入れても日本人の私たちが耐えうる環境か?否!とか、そして何より10年かけて大切に育てて来た私たちの事業は一体どうなっていくのか、話せば話すほど不安が増してゆく。
そんな中、佳世さんが
「それにしても私、本当に明日、帰国するんですかね?」
というので、おかしくなって3人で笑った。
一応、会社では私がトップなんだから、不安な顔を見せちゃいけないよねと、笑顔で「何の心配もいらないから、気をつけて帰るんだよ」と言ってみた。
佳世さんは、私にとっては長い闘いを共にしてきた戦友。途上国あるあるで日本ではありえないような問題が勃発、店舗が3店舗になりお菓子ファクトリーもでき、女性の夢をかなえるデザインコンテストを毎年開催して、、、と活動が広がると共に、常にドッカンドッカンと、どこかで問題が爆発しているような状態だった。
一時は40名近いカンボジア 人スタッフを抱えて、トラブル対応するにも、佳世さんがいなかったら、到底やりきれなかっただろう。
だから戦友が帰国するのは、本当は寂しかった。
コロナで3人は、なぜか別々の道を歩むことに
その後、シジミさんは1年と少し現場で在庫改革や経理改善をしてくれたが、1年がたった頃、カンボジアでクラスターが発生。店舗も締めねばならず、先行きが見えなくなり、私が撤退を決意した時に、シジミさんも日本に帰国。
その後、、結果として奇跡的に撤退はせず、生き残れたんだけど、コロナをきっかけに、私たち3人は別々の道を歩んでいる。
佳世さんは日本在住となり、ある会社でリモートワーク。シジミさんも日本で新しい事業の立ち上げ(61歳からの挑戦)、今だに中国に戻れず、なぜか日本の我が家に居候中(笑)
コロナ前まで、カンボジアで一緒の未来を目指していた3人だったけど、きっと、本来、いくべき道に行ったんだなと思う。
こうしてあの夜、不安な気持ちでカンボジア にいた3人が、こうして無事に生きていて、日本で会えたことに、心から感謝。
私も自分の道をマイペースに歩んで行くよと、前向きな気持ちになれた夜。
ワインを飲んで(一杯で酔える)幸せだなと。